ブライアンの挑戦!

ブライアンの過去から現在までの物語

裾野市の少年時代 ~高校生の頃~

では、続いて ~高校生の頃~ です。

 

まず、高校で何をしていたか?

ですが。。。

 

中3から高1にかけての春休み。

まだ、高校に通う前のことです。

ある日、家にいた僕のところに、当時裾野駅の裏(今で言う東口、当時は駅裏)に

あったスポーツショップのオーナーがやってきました。

 

「おい、〇〇ちゃん。△△高校の野球部に行くぞ!」

「えっ?」

突然のことに僕は慌てましたが、なぜか言われるがままに付いて行って

しまったのです。

 

で、結局GWが終わる頃には野球を辞めてしまいました。

 

「練習時間が足りないから、もっと練習させろ」と言ってたほど、

野球が好きだったのに、この頃には野球熱はかなり冷めてましたね。

 

野球を辞めてからの僕は、音楽の方へ進んで行きました。

 

高校時代は学級委員長を務めていたので、「委員長」と呼ばれていました。

 

表向きは優等生。

でも裏の顔は・・・。

ではないですけど、禁止されていたバンド活動とアルバイトに明け暮れていました。

 

バンドのメンバーは、ボーカル、ベース、ドラムの僕が同じ高校で、

ギターは小田原の方に住んでいました。

これもまた、なぜ小田原のメンバーと出会ったのか?

というのは、記憶にありません。

もう35年以上前の話なので。。。

ま、高校に入ると、中学の時にバンドやってた連中が結構いて、

ビートルズが好きな奴も多くて、「じゃ、ちょっとやってみっか」ということで、

沼津の「すみや」のスタジオでいきなりセッションをする訳です。

で、そういうのがあって、「あいつ、まあまあ上手いぜ!」とかなって、

メンバーに誘われて。

って流れで出来上がったバンドなんですけどね。

 

バンド名は「MONROE」。

ビートロックのバンドで、THE MODSとか、THE ROOSTERSとかのコピーを

やってましたね。

「崩れ落ちる前に」「ゴキゲンRADIO」「LET'S GO GARAGE」・・・。

懐かしいですねぇ。これまた。

 

バンド活動の拠点は沼津だったので、裾野からの電車賃や飲食代、スタジオ代、

楽器代等、それはそれはお金がかかるので、アルバイトで稼ぎました。

 

一番最初にやったアルバイトがゴルフ場のキャディ。

ゴルフ場からもらうバイト代以外に、

お客様から直接、チップや売店で売ってる品物をいただきました。

行ったその日にバイト代がもらえたので、とても良かったです。

 

そのあと、スーパーの品出しをやりました。

陳列されている商品を前詰めさせたり、広告品の外箱を上手く切り取って並べたり、

バックヤードから陳列棚に商品を補充したり、値札をつけたりしてましたね。

値札つけるのどうやってやるか知ってます?

知る訳ないか。

 

アルバイトは禁止されていたので、スーパーのバイトはちょっとドキドキしました。

先生が来ると隠れたり、通りを変えたりしてね。

 

 

結局、稼いだお金は全部音楽に使ってしまったけど、

親に頼ることはしませんでしたよ。

 

 

そして、YAMAHAのEAST/WESTというコンテストに出たり、

「すみや」主催のコンサートに出たりと音楽活動は続き、 

そして、こういった流れが、後に大学生となる僕に新たな出会いをもたらすのでした。

  

次は ~大学生の頃~ をお届けします。